Our Mission
私たちの使命
キリストの癒しの
存在をもたらす
それが、聖フランシスコ病院修道女会のシスターたちの祈り、願い、奉仕です。
姫路修道院
姫路修道院は管区本部に属しているために本部修道院(マザーハウス)とも呼ばれています。
現在、日本管区に属する姉妹たちの約80%がここで祈りの生活を軸とした共同生活を営み、元気なシスターたちは、病院や介護老人保健施設で奉仕しています。

1948年
当時、アメリカで既に誓願を立てて来日していたシスターたちは、現在のマリア病院の敷地内にある、大きな木造二階建ての建物(修道院)に住んでいました。
1949年12月
若い女性たちに向けて、「アスピラント・スクール(志願者のための学校)を始めるので希望者は姫路に来るように」との呼びかけがありました。これを受けて東京から2名、姫路から1名、長崎から3名の計6名の邦人希望者が集まりました。
この建物に並行して、一階建ての建物があり、そこが私たち6人の志願者の住居となりました。
修道院の東側一階は聖堂、厨房、応接間、裁縫室あり、その上の二階にはシスターたちの修室がありました。志願者の住居も東側が大きなホールとなっており、病院関係の各種イベントに使用されていました。
1951年
年に2回、2月と9月に入会式が行われるようになりました。修練院の在籍者数が最も多かった時期には、23名に達しました。修練院で養成され、誓願を立てた姉妹たちで修道院が形を整えられ、だんだんと所帯も大きくなっていきました。
1963年
姫路において、マリア病院のマリア館が竣工し、その5階に修道院が移転しました。2階の講堂が聖堂でした。今は、旧姫路修道院と呼ばれる棟が病院に連なる形で新築されました。

1965年
新しい修道院が完成されました。
1967年
新しい修道院での生活が始まりました。
2005年
病院のカナ館建築の機会に黙想の家とつながる現在の新修道院へと移転しました。


長崎修道院
主の御手の中にあって、幾多の変遷を経ながらも、長崎修道院に属する姉妹たちは、主に信頼しつつ、謙遜と愛に満ちた共同体として、その使命を果たして参りたいと願い、祈りと奉仕の日々を歩み続けています。

1948年
中国からアメリカのシスター2人(シスタークレメンチアとシスターポリカルパ)が始めて長崎を訪れた頃は、原爆の痕跡がまた癒されぬ焼野原でした。
歴史をたどると第二次世界大戦前に小峰町にフランシスコ会の神学校があり、戦時中は外国の神父達は連行されてしまい、日本人のフランシスコ会の神父、修道士たちは、結核療養所(浦上第一病院)とし、奉仕されていました。

1949年
私たちの修道会に移管されてから、療養所の西端に増築した修道院としてシスター達が住むことができました。聖堂は1階にあり、浦上の信徒の方々とミサを捧げ、シスター方は2階、3階に生活していました。
1963年
結核療養所から聖フランシスコ病院と改称しました。
1971年
病院を新たに建築し、病院の4階を修道院とし、長崎修道院としてシスターたちは修道生活を続けました。4階という位置にあり、夕陽が綺麗に染まる夕暮れの食堂は茜食堂と呼び合っていました。

同年3月25日
新修道院の除幕および祝別式が執り行われ、浦上教会主任司祭であった三村誠一神父が式を司式されました。新修道院の祭壇は桜の木で創られ、祈りの深さで祭壇が色づくと言われました。
同年4月16日
初ミサが行われ、司式はその年に叙階された一ノ瀬輝幸新司祭によるものでした。この日、新たな場における祈りの始まりが静かに、しかし力強く刻まれました。
1991年
宣教女のシスターバーネットは1991年姫路で亡くなり、42年の宣教生活を終えました。
宣教女たちの祈りが受け継がれ現在に至っています。
2003年5月
修道会総長様の公式訪問がありました。
同年6月5日
アメリカから宣教女としてシスターアンゼリスタ(シレジア生まれ、ドイツ管区からアメリカへ宣教そして日本へ)が宣教54年を終え、母管区であるアメリカ管区に戻りました。
同年10月
同年は「ロザリオの年」にあたり、10月には修道院の姉妹8名全員がロザリオ巡礼に参加し、信仰の深化と共同体の絆を新たにしました。
2012年
先には、姫路でベトナムの学生志願者を受け入れていたが、日本語学校の閉鎖もあり、2012年に初めて3人のベトナムからの学生志願者をここに迎えました。
2013年
国際修道会として文化交流を行う企画があり、各管区、地区からのシスターたちが長崎を訪問し、同年、初誓願を宣立したベトナム人の姉妹の一人がここから大学に通い始め、卒業に至りました。
2025年
宗教的な行事の多い環境に恵まれた長崎に、ベトナムからの学生志願を再び受け入れ、現在2人の学生志願者がここから日本語学校に通っています。



ベトナム召命活動との出会いと歩み(2004年 ~)
2004 年、東京で開催された「フランシスカン家族会・養成担当者会」の年次会合からの帰路、電車の中でのことでした。この会合に参加されていたR師(ベトナム出身)より、「数年前から日本のいくつかの修道会でベトナムでの召命活動が始まっています。ぜひ参加しませんか?」とお声かけをいただきました。そのお申し出に、即座に「ぜひ、参加させてください!」とお答えしました。
それ以来、日本で修道生活を志して来日した多くの若いベトナム人女性たちと出会い、そして別れを経験してきました。

現在(2025年)、この召命活動の実りとして、終生誓願者6名、有期誓願者7名、学生志願者2名に恵まれています。
2017年
初期の活動はイエズス会司祭のご指導のもとに進めていたため、長らく(10年以上)ベトナムにてフランシスコ会と直接お会いする機会はありませんでした。しかし、神のご計画のうちに導かれ、2017年の召命活動の旅において、ついにホーチミンにあるフランシスコ会本部を訪問し、管区長様とお会いする機会が与えられました。その後は、聖霊の導きのままに大きな展開があり現実となっています。
2018年7月6日
フランシスコ会管区本部から歩いて 10分程の場所に「ファンシンの家」を設けることができ、霊的な面はもちろんのこと種々のご協力とサポートを頂けるようになりました。
修道召命を感じ、ファンシンの家の門をたたいてくださった方は、しばらくの間留まり、ミサ、朝昼夕の祈り、ロザリオ等を共にしながら共同体生活を試み、召命を育みます。本会での修道生活を望まれる方は引き続き、日本管区の責任者を通して受け入れられます。共同体生活をしながら日本語の学校へも通い始めます。



このすべては、どこにいても何をしていても、祈りの使徒職を通して「召命を願う祈り」を忍耐強く捧げ続けている姉妹たちの祈りの実りであり、長年にわたる願いの結果でもあります。国際修道会として召命の減少が著しい管区の姉妹たちからは、「日本の召命のために祈っています。私たちの姉妹です」と、温かい言葉と支援の約束もいただいており、大きな喜びと励ましとなっています。
これからも、すべてが神のみ手の中にあることを信じつつ、この働きが引き続き祝福されていくよう、共に祈りを続けたいと思います。
修練院(第二修道院)
アシジの聖フランシスコは、最初の庵としてベネディクト会から譲り受けた小さな居所をポルチュンクラと呼びました。私たちも修練院の呼称として「ポルチュンクラ共同体」を使用し、聖フランシスコの精神にあやかりたいと努めています。

1963年
マリア病院の本館であるマリア館が竣工し、その5階に修道院が移転しました。
1965年
新しい修道院が完成
1967年
新しい修道院での生活が始まりました。
1968年
当時、修練者たちは東京で修練を受け始めていましたが、ある神父から「東京には修道共同体が存在せず、修練者の養成には適切で ない」とのご意見をいただきました。そこで、同年5月に修練者たちを伴って姫路へ戻ることになりました。
1995年~2006年
1995年頃からは、韓国また2006年からはベトナムからの学生志願者たちも受け入れることが決定し、国際的なメンバーによる修練院に発展し、今日に至っています。
2010年4月
同じ敷地内にある建物の一角を利用しながら、このようにして修練院は、姫路修道院所属の養成共同体としてスタートし、2010年4月には「姫路修道第二修道院/修練院」となりました。

聖フランシスコ病院修道女会(日本管区)の概要
名称 | 聖フランシスコ病院修道女会 日本管区 |
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所在地 | 〒670-0801 兵庫県姫路市仁豊野650 |
設立 | 1948年 |